2021.01.22

リノベ女子サトーの人生その1

こんにちは。リノベ女子のサトーです。 3回目になりました。 これからどんどんコラムを更新していくにあたり、わたし自身を知った上でコラムを読んで頂きたいなとおもい、今回はわたしの経歴をお話しさせて頂きたいと思います。

ホームパーティー好きは大学生の頃から

party
大学進学で実家を離れはじめての一人暮らしを千葉県でしたときは、インテリアの雑誌を読み漁り、お金をかけずにDIYでおしゃれぽい空間にしてみたり。 12帖のワンルームで、部屋の中にキッチンがあるタイプ。 思い返せば、大学生の頃からアパートに友人を招いて、たこ焼きパーティーやお月見パーティーや鍋をしていました。 なにより仲の良い友達たちが実家暮らしだったので、必然的に我が家がたまり場になっていったのでした。 このときから、ホームパーティーが好きだったんだと、過去を振り返り改めて実感しました。

憧れのYOKOHAMA LIFE

就職の際は、人生のうちどうしても大好きな「横浜YOKOHAMA」で暮らしたいという思いで、横浜にあるとあるWEB制作会社に入社し、念願の横浜に引っ越しをしました。 高校3年生の時にどハマったドラマの舞台が横浜で、みなとみらいの夜景だったり、東京ほど都会過ぎなく、丘が多い地形だったり、赤い彗星京急電車・中華街・港・・・田舎者の少女はなぜか心奪われたりしたのです。 大学生で千葉に移り住んでからは、ことあるごとに横浜に通っていました。 そして、いつか横浜に住むのが夢になっていたのです。念願を叶えたのです。
YOKOHAMA
憧れの横浜で、しかも勤務先の最寄りの駅は桜木町駅という最高のロケーション。 当時住んでいたアパートは、大好きな京急沿線の弘明寺という下町溢れる町の丘の上にある三階建てのアパート。 窓の外にはランドマークタワーや桜木町の観覧車も見える最高の物件でした。 しかし、憧れの横浜ライフを楽しんでいた入社半年後に悲劇が訪れます。 桜木町にある会社が、東京浜松町にある別の会社と合併することになり、制作チームは浜松町に異動になったのです。 横浜から浜松町は満員電車でおよそ1時間。仕事も忙しくなり、いつの間にか最高の物件は、寝るだけの部屋になっていました。 そんな生活にも疲れ果て、24歳で地元福島県郡山の実家に戻ることを決意。

偶然なのか、必然なのか・・・住まいがもたらしたもの

home
もともと将来的には、地元に帰るつもりではいました。一生都会では暮らせないと思っていました。 思っていたよりは、早い帰宅でしたが・・・。 その後、半年の無職生活を経て、今のオノヤに就職が決まりました。 WEBができる人を募集しており、前職の経験を活かせると思い試験を受けたのですが、入社が決まった時に、「あれ?また住宅系だわ。」とふと気付いたのです。 実は、新卒で入社した会社は、新築マンション専門のWEB制作会社でした。 会社選びの際、住宅系で会社を選んだわけではなかったものの、偶然なのか必然なのか、どちらとも住宅系の会社だったのです。 この時はじめて、自分が住まいや暮らしに興味があるんだと自覚しました。遅すぎますね。 そう言えば、当時テレビでよくやっていた「お部屋改造計画」とか、好きだったなぁと改めて自分の好きに気付きました。 その後、34歳まで約10年間、実家暮らしを続けることに。 次回、実家暮らしからまさかのマンション購入に至るまでをご紹介させていただきます。
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